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厭離穢土欣求浄土

厭離穢土欣求浄土

厭離穢土欣求浄土
オンリエドゴングジョウド

いよいよ大河ドラマ「どうする家康」でもこの言葉が登場しました。
松平九代にあたる家康公の旗印でもあり、松平四代親忠公が最初に掲げた旗印です。

親忠公の時代、応仁の乱以降、世は乱れ、
伊賀八幡宮のある井田野の地でも度々大きな合戦がありました。
親忠公は井田野の近くに館を構え、この地域を重要視していました。
当時の松平家は一族の数が多く、その頭領として思いを込めて、
一族の守り神=氏神として、この場所に伊賀八幡宮を創建されました。

大きな合戦の後、井田野には亡霊がさまようようになり、
その弔いに、千人塚と大樹寺を築きます。
敵味方ともに大切に弔ったそうです。親忠公のお人柄が偲ばれます。

その親忠公が、大樹寺開山の高僧に作らせたものが「厭離穢土欣求浄土」の旗でした。
穢れた乱世を、平和な極楽浄土へ変えよう、という意味です。
多くの戦国武将の旗印は、武功や加護を祈るものでした。
例えば真田家の六文銭はあの世への渡り賃、武田家の「風林火山」は兵法の教えです。
松平家は一地方豪族でありながら、乱世を終わらせるという大願を掲げ戦いに臨みました。

その願いの大きさは大樹寺の名前にも表れています。
「大樹」とは古い中国の言葉で「将軍」を指します。
国全体の平和を見据え、武家の頂点の「将軍」を意識することは地方武家にはあまりにも大きな夢でした。

大河ドラマ「どうする家康」ではまだ描かれていませんが、
家康公の父と祖父は家臣によって殺されたと言われています。
人質生活を送る家康公にとって、岡崎は優しいばかりの土地ではなかったでしょう。
壮絶な境遇の中で、心の拠り所となったものは何だったのでしょうか。

当神社の蓮池は、徳川家光公の整備で作られました。
ハスは、泥の中から芽を出し、大輪の美しい花を咲かせます。
旗印の8文字に、広く大きなつながりを感じてみてください。