御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現(徳川家康公)
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松平四代親忠公が、松平家(徳川家の祖)の子孫繁栄の守護神・氏の神として創建なされたのが伊賀八幡宮です。
時に文明2年(1470)。5年後に氏寺・菩堤寺として大樹寺も創建なさいました。
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戦乱の世が続くなか、天文11年(1542)、伊賀八幡宮を守護神とする、松平九代の子孫徳川家康公のご生誕がありました。
祖父そして父も家臣に暗殺されるという、まだまだ弱小の武家であった時期の公のご誕生とそのご生涯は、艱難辛苦の連続でした。
しかし公のご功績は、徳川家の無事安泰に意を注ぐ、ということにとどまるものではなく、広く日本の、応仁の乱以来の130年の戦乱の世を平定なされたことです。
そしてさらには260年におよぶ太平の世を開く、その大きな礎を築かれたということです。古今東西を通じて、世界的に比類のないこの大偉業は、真に神業と呼ぶにふさわしい事蹟といえるのではないでしょうか。 |
徳川幕府の三代将軍となった家光公は、先祖伝来の守護神である伊賀八幡宮に、祖父東照大権現(徳川家康公)をあわせ祀ることとなされ、御朱印540石を奉納なさいました。これにより伊賀八幡宮は、日光・久能山とともに、将軍みずから祀ることをお定めになった、数少ない東照宮の一つでもあります。
家康公は「亡骸は久能山に、葬儀は芝の増上寺で、位牌は大樹寺へ」と遺言したとのことですが、その大樹寺への御朱印は600石です。
伊賀八幡宮が、徳川将軍家にとっていかなる霊廟であるかが表わされています。 |
なお、家光公は、祖父の造営した御本殿に増築するかたちで、現在の権限造りの御社殿などをご造営なさいました。
この極彩色の御社殿などは昭和8年に国宝に指定され、現在も、随神門・石橋などとともに国の重要文化財とされています。 |
| 伊賀八幡宮の大神様が、家康公に化身してこの世に出現(=権現)なされ、この国の有り様に強い御神威を顕され、正に『厭離穢土、欣求浄土』を実現なされ、約百年の後の寛永13年(1636)、東照大権現の別名を以って還御なされた、と申し上げるところであります。 |